ウエストベアーズ 第29期 2018Aチーム 卒団式 2019立春を過ぎて

2019年2月10日(日) 14時

エストベアーズ2018Aチームからご招待を受け、29期卒団式に来賓として参列しました。

ナオキが小学1年生の時に入団してから、自分たちの2013Aチーム卒団式までの在団時代の6回と、
卒団後は一年空いて、
うれしいことに一昨年の2015年度チームからは、毎年度ご招待を頂き、今回で計10回目の卒団式。

今期の11人の選手たちは、本当によく頑張った!
少年野球、そしてウエストベアーズの卒団おめでとう!

中学行っても、前を向いて頑張ってください。
私も、中学軟式野球とはまだまだ関わっており、野球(軟式)を続けてさえいれば、各中学校グラウンドや、
稲永、大高、口論義などで、必ず会えます。必ず。
その時は、親子ともども笑顔で近況報告でもしましょう。

いろいろな思いを、改めて思い起こさせてくれた卒団式。
10年前、ナオキの野球の第一歩を踏み出すキッカケとなった原点。
エストベアーズ。


副代表の挨拶
イメージ 1



エストベアーズ 第28期 2017Aチーム 卒団式

エストベアーズ 第27期 2016Aチーム 卒団式

エストベアーズ 第26期 2015Aチーム 卒団式


ナオキ少年野球 第24期 2013Aチーム 卒団式 (ナオキ本人)
http://blogs.yahoo.co.jp/murasan_1_1/archive/2014/02/10

ナオキ少年野球 第23期 2012年度 卒団式(5年生)
http://blogs.yahoo.co.jp/murasan_1_1/archive/2013/02/12

ナオキ少年野球 第22期 2011年度 卒団式(4年生)
http://blogs.yahoo.co.jp/murasan_1_1/archive/2012/01/29

2011年 ナオキ3回目の卒団式(3年生)
http://blogs.yahoo.co.jp/murasan_1_1/archive/2011/02/14

2010年 ナオキ2回目の卒団式(2年生)
http://blogs.yahoo.co.jp/murasan_1_1/archive/2010/01/31

2009年 ナオキ初めての卒団式(1年生)
http://blogs.yahoo.co.jp/murasan_1_1/archive/2009/02/17











時は一日遡り、2019年2月9日(土)

東山クラブは、中部大第一高校硬式野球部グラウンドにて、BWウインターリーグ大会を
瑞穂ブルーウイングスさんと。

試合終了後、CBCの番組収録を、サンリッツさんと。

収録風景
イメージ 2






時は半日遡り、今日、2月10日(日)午前中

東山クラブは、愛知県立瀬戸高校硬式野球部グラウンドにて、練習試合を2試合、氷見市立氷見北部中さんと。

氷見市立氷見北部中さんは、富山県代表として、昨春の文部科学大臣杯に出場して全国ベスト8、
昨夏の横浜、全日本少年軟式野球大会にも北信越ブロック代表として出場を果たした強豪チーム。

グラウンドをご提供頂いた瀬戸高校硬式野球部さん、はるばる遠征頂いた氷見北部中さん、
ありがとうございました。
















































































高校野球を過ごして、はや1年と11ヶ月。
N牧さんからは、「春大の抽選から夏大終わるまで、本当にあっという間だよ!」と、こないだお聞きした。

ナオキの高校硬式野球部には父母会があり、昨年度新チームの代替わりでいろいろ引き継いだ。

話は一気に飛ぶが、少年野球~中学野球チーム内のトラブルって、父母がらみのことが多い印象を受ける。
もちろんその内容は多岐にわたるし、いっしょくたにできないことは百も承知。
少年野球時代、母当番でいやな思いをしたことがある。
何人もいれば、何人分のいくつもの家庭の事情があるのだ。
私(と私の家庭)は前職も現職も、土日祝は休みだったので、当番に問題はなかった。
大切な仲間たち数人に、その時、そのチームに、求められている水準での当番制にほんの少しだけ
「満たない場合がある可能性」があった。
もし満たない可能性がある時は、全てウチが引き受けて決してチームに迷惑かけないと言った。
本当に大切な仲間だから。
なんなら当番自体、その家庭の当番は全てウチがウチの当番にプラスして引き受けると言った。
配車や、荷物当番・お茶当番も、とにかく全て。
もちろんヤル気がないわけじゃなく、逆にチームへの思いは入団年次に現れるように、人一倍ある人たち。
この当時、既に私は小学校PTAに関わっており、着任と同時に決めて実行したことに、
「できることを、できる人が、できる時に」というモットーがあった。
少年野球の母当番もこれでいいじゃん。
ところがどっこい、なぜかそうは問屋がおろさなかった。
一部から「みんなが平等に当番を負担すべき」と言われた。
違うんだって。
やりたくてもできない人がいるから、その人の分はウチが全部やるって言ってるのに、それはダメなんだと。
なんで?
私が納得しうる明確な根拠の説明は、もちろんなかった。
もし・たら・れば・じゃないが、自分の思いをもっと主張すればよかった。
この大切な仲間は、一人は受験でチームを休部し、一人は転勤のため涙涙のお別れをすることになる。
この数年後、今度は父関連で。
馬鹿馬鹿し過ぎて書けない(笑)あの醜態。
あやうく本拠地グラウンドが以降一切使えなくなるとこだった。
私とF会長の尽力で使えなくなる最悪の事態は免れたけれど、その経緯は私とF会長、学校幹部しか知らない。
子どもたちのことを思うF会長の度量の大きさにチームは救われた。
ほんと思い起こせば、楽しいだけの少年野球時代じゃなかったね。
もちろん楽しいことの方がはるかに多く、いやなことはもうあまり思い出すこともないけれど。

次の中学軟式クラブチーム時代は、むしろ 「楽しいこと」 しかなかった。
父母会はあったけれど、当番など父母の負担は一切なく、素晴らしいチームだった。

そして、高校野球
父母会を引き継いだ際、みんなで意見を出し合って合理化を進め、前例踏襲は避ける決断をした。
※決して前例が悪いわけではない。
結果、今まで本校硬式野球部父母会がやっていたことの多くを、廃止・縮小した。
そう、父母会は、子どもを応援するためにあるのだ。
そう、父母は、子どもを応援するものなのだ。
そして、そう、父母の負担は、極力なくすべきなのだ。
物事をシンプルに。

 正義正道

今までと何も変わらず、変えず、
正しい道を、正しいと自分が考える道を、
これからも歩んでいこうと思う。


受験のためチームを離れた大切な仲間は、県内進学校硬式野球部に。
転勤したもう一人は、転勤先の強豪私学の硬式野球部に。
最高だぜ!!
お互い、最後の春→夏。
がんばれ!!ジュン!キョウタロウ!!